E10型蒸気機関車について

鹿目皓平(46期生・高校1年)

はじめに
国鉄の営業路線上から蒸気機関車が消えたのは、1975年12月24日のことである。1872年10月14日以来103年間走り続けてきた蒸気機関車の灯火はここで一旦消えたわけだが、国産蒸気機関車の完全新製は1948年の春、E10型蒸気機関車(以下E10)を最後に終了していた。今回は、そのE10についてみていこうと思う。
概要
E10は奥羽本線の板谷峠越えに使われてきた4110型を置き換えるために製造された。当時、板谷峠では電化計画が着々と進んでいたものの、製造後40年を経過した4110型は老朽化と戦時中の酷使のため、稼動車数が著しく減少していた。関東地方へ穀物を輸送する動脈となる奥羽本線の輸送能力を現状では賄いきれないと判断し、「電化までの繋ぎ」としてE10の製造が決定されたのである。
構造
 
 福島米沢間の線路規格、側線の有効長の関係上、機関車の全長はなるべく短くしたかった。また、D51といった大型テンダー車の場合、33‰という勾配に不適当だったほか、炭水車が邪魔であった。よって、置き換え機種の4110型と同じく動輪は5軸としても、タンク型として製造されたのであった。  E10に搭載されているボイラーは、国鉄最大のボイラーであったD52の長さを短縮したものである。カタログ上の牽引力は日本の蒸気機関車では最大だ。また、なるべく車両長を縮めたいという設計思想であるため、ボイラーは動輪直上に配置されたが、そうするとD51やD52の1400mmの動輪直径では高さの関係上収まらなくなる。また、5軸という軸数による軸距離の関係によって、E10の動輪直径は9600型や4110型と同じ1250mmとなった。そのため、最高速度は75km/h である。  しかし、5軸の動輪のみとなると、水、石炭の積載能力が不足し、軸重も16t以上になって奥羽本線の線路では負担しきれなくなる。よって、先輪1軸、後輪2軸を付け足した。  この機関車の特筆すべき点は、本来の進行方向を逆向きとしていることだろう。これは、E10から出る煤煙による乗務員の労苦を軽減するためのものであった。進行方向を逆にしたため、運転操作関係の機器は全て従来の機関車と左右逆に取り付けられている。
投入
 1948年、E10は庭坂機関区に配置され、板谷峠越えの運用に着いたが、翌年には板谷峠区間の直流電化が完成。E10は肥薩線の人吉機関区に転属となった。7月からは矢岳峠越えの区間で本格的仕業に入り、従来のD51と共通運用で本務と後補機に使用された。しかし、急勾配通過の際の横圧が大きかったことから横圧が大きく、保線側から嫌われて使用開始後数ヶ月で金沢機関区へ転属となった。人吉機関区での使用状況は「ちょっとだけ試運転を行って、あとは休車にしてしまった」とも伝えられているようだが、実際には一日平均して人吉~吉松を2往復していた機関車もいたようである。
金沢機関区へ
 人吉機関区を追われたE10は、金沢機関区へ転属となり、石動~津幡の倶利伽羅峠越えの補機に使用された。転属と同時にE10は特徴的な後進本位から前進本位へと改造されている。そのため、機関室が右側にある変則的な配置となった。  E10は重量貨物列車において威力を発揮したが、旅客列車の補機では平坦区間で60km/hに達するため、動軸の発熱やフランジの磨耗が問題となった。  1957年、倶利伽羅峠に勾配改良の新線が開業するとE10はお役御免となり、休車となった。他に活躍できる勾配区間も無く、同年10月に完成した敦賀~田村の交流電化に、田村~米原の交直接続機として使用されることとなった。米原機関区への転属である。同区間は裏縦貫線の一部であり、その使命は大きかったと言えよう。
おわりに
 戦時中、戦後直後に作られた鉄道車両は、当然のことながら材料の質が悪かった。それはE10にも言えたことであり、米原機関区へ転属となった頃からそれが目立ち始めた。特にボイラーの状態悪化が深刻であったが、設計上、機関区では保守・点検が難しく、工場での修繕でも少数機であるが為に資材、材料の準備が不便であった。また、当時DF50の進出によってD51に余剰車が出ていた。  1959年12月、遂にE10 1が廃車になる。ついで1960年8月に3・4号機が休車、1961年7月には2号機が休車となった。残りのE10 5も、1962年5月に休車となった。そして1963年2月、3月に全機廃車となったのである。14年の活躍であった。  現在、E10 2が青梅鉄道公園に保存されている。筆者自身は訪れたことは無いが、いずれは訪れたいものだ。  D51やC57と違い、E10の名は殆ど知られていない。生産量数の少なさと使用期間の短さ故であろう。少数派は得てしてそういった扱いを受けてしまう。しかし、国鉄最後の新製蒸気機関車、E10はそのような評価に終わって良いものなのだろうか? E10を知る人が増えてくれることを願いつつ、筆を収めさせていただく。(終)

この記事は2013年4月に執筆されましたため、現状と異なっている可能性があります。

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