秩父鉄道について

Y・K(48期生・中学2年)

はじめに
私事で大変申し訳ございませんが、僕は秩父鉄道が大好きです。この文章をお読みの方々には、「チチテツみたいな中古車天国が好きだなんて」とお思いの方もいらっしゃると思います。では僕が秩父鉄道を好きな理由を話していきたいと思います。
その1.車種が豊富であること

1000系(元國鉄101系)
 1986年、100系、800系(元小田急1800系)を置き換えるため国鉄から比較的保存状態のよい101系3両編成×12本=36両を譲渡されました。2007年にはリバイバルカラーの塗装も始まり、秩父鉄道の主力車両として秩父路を駆け抜けて来ましたが、中には1006Fのようにモハ90系→101系武蔵野線用難燃車(1959年製)のように車齢50年近くとなり老朽化が進み、2009年から7000系、2010年からは7500系による置き換えが始まり、残りは1001F(スカイブルー編成)、1003F(2代目オレンジバーミリオン編成)、1010F(2代目秩父鉄道カラー)の3編成になっています。
1000系の色(リバイバルカラーなど 現役車両は2013年2月現在)
 1001F(現役)・・・スカイブルー
 1002F(引退)・・・旧秩父鉄道色(小豆色、100系色)
 1003F(現役)・・・オレンジバーミリオン(2代目)
 1007F(引退)・・・初期秩父鉄道カラー(チョコバナナ)
 1009F(引退)・・・ウグイス+黄色帯
 1011F(引退)・・・オレンジバーミリオン(初代)
 1012F(引退)・・・カナリア
※このほかの編成は、2代目秩父鉄道カラーです。
5000系(元都営地下鉄6000系)
 
 1999年、4両編成のため輸送力過剰に悩んでいた秩父鉄道が、3両編成の5000系を4本投入。秩父鉄道初の全車冷房車で、猛暑で有名な秩父地方の待望の冷房でした。(1000系は中間車が非冷房)2011年11月、5004Fが樋口~野上間の踏切事故に巻き込まれ休車となっています。
6000系(元西武新101系)
 老朽化が進み、全般検査で引っかかってしまった急行秩父路号用の3000系(元国鉄165系)を置き換えるために2006年から投入された、急行秩父路用の車両です。通勤電車を急行用に改造したので、1両片側3ドアを真ん中のドアを大窓に改造して2ドアとし、急行仕様に座席もロングシートからボックスシートに変えられました。また、3両にするには クハ+モハ+モハ+クハ の新101系の組成から3両にしなければならないですが、モハユニットが邪魔です。そこで、2両目のモハの運転台の長さ分と1両目のクハを切り取り、クハの運転台をモハの切り取って欠けた部分に溶接して、3両にしました。ほかにも、行き先表示機のLED化、愛称表示機の取り付け、ワンマン対応化が施行されました。また、時折ヘッドマークを前面につけての運転も行っています。
7000系(元東急8500系8509F)
 1000系置き換えの先行車として2009年、7001Fと7002Fが投入されました。普通列車用として10年ぶりの新車です。7001Fはもともとの先頭車2両と中間車1両ですが、7002Fは中間車を先頭車化改造した先頭車2両と中間車1両という組成になっています。また、広瀬川原車両基地に7001、7002Fと同じ元8509Fの8745、8830号車が部品取り用として置かれています(実は5000系も)。 しかし残念ながらその後の増備はなく、今も2編成だけで奮闘しています。
7500系(元東急8090系)
 7000系の登場1年後、今度は東急から8090系を購入し、そのまま3両化して秩父鉄道に入りました。現在7編成と最大勢力を誇り、7000系とあわせて9編成で、1000系を残り3編成までに追い詰めています。今年3月から東急恩田工場で先頭車化改造された元8090系の7800系(2両編成)が投入される予定です。また、7501F、7504F、7506Fは元8090系初期車で前灯が帯の下にありますが、そのほかの編成は前灯が帯の中にあります。
デキ100・300・500形
 秩父鉄道の主要電気機関車(EL)で、小型電気機関車ながら石灰石いり貨車を20両も運ぶことができるほどの力を持っています。熊谷貨物ターミナル~三ヶ尻~武川~武州原谷(秩父太平洋セメントの工場と隣接、午後の貨物は当駅で折り返すことが多い)~影森間の貨物列車運用が主体で、たまに旅客用にもなります。(2007年、2012年の5重連運用など)特に、デキ103号・・・通称赤デキ、デキ505号・・・通称茶デキは、よく旅客運用にもつき、デキ201号と連結したりします。また、東武鉄道への新車も輸送し、その際は三ヶ尻線経由で羽生・寄居に輸送されます。 デキ100形の2両(デキ101号、デキ106号)が廃車になった意外は、全車健在ですが、松尾鉱業鉄道から秩父鉄道へやってきたデキ107・108号をはじめ車齢60年を越える車両もあります。でもデキ507号は私鉄のELとして最新です。
デキ200形
秩父鉄道の電気機関車ですが、昔はデキ100形のように貨物運用を行ってきました。しかし、貨物輸送量の減少によってデキ202、203号は三重県の三岐鉄道に提供され、残ったデキ201号は大幅な塗装変更を経た上で旅客用に改造され、ELみつみね・ながとろ号やSL脱線時のパレオエクスプレスの代走にも前述のデキ103号、デキ505号とともに運用についています。なお貨物運用からは今のところ外されています。
ヲキ・ヲキフ100形
石灰石輸送用の秩父鉄道線内専用貨車です。10両で1単位ながら一部例外を除き20両運転となります(デキが牽引)。
C58形363号機
 1988年秩父鉄道がSL『パレオエクスプレス』(運転区間:熊谷~三峰口)の運転に伴い車籍を復活させた蒸気機関車です。パレオエクスプレスには公式キャラクター『パレオ君・パレナちゃん』がつくなど、秩父鉄道の中でも指折りの人気列車です。(ちなみに、パレオの切符はみどりの窓口でもお買い求めいただけます)検査はJR東日本の大宮工場で、管理は同じく高崎車両センターでおこなっています。パレオエクスプレスの客車はもともと旧型客車でしたが、JR東日本から購入した12系客車に変更しています。2012年8月6日の運転前に広瀬川原車両基地にて脱線事故を起こし、2013年3月に復活する予定です。その間のパレオエクスプレス運用は『ELパレオエクスプレス』として、デキ200、デキ500、デキ100形が主に運用についています。  
12系
2000年、秩父鉄道がパレオエクスプレスの旧型客車代替用としてJR東日本から購入した客車です。大幅な塗装変更を施されていましたが2012年塗装、内装が変更された上で運用についています。
 
その2.車窓の風景
 秩父鉄道は、沿線に3つの車窓風景があります。1つは、羽生~寄居、秩父~影森のような住宅地が広がるところ、2つ目は新郷~武州荒木、寄居~秩父のようないわば里山風景の車窓、最後は影森~三峰口のように森林が深く入り組んでいる車窓です。

そもそも、秩父鉄道とはなんぞや

秩父鉄道とは
 秩父鉄道とは、埼玉県東部にあり、簡易関所が置かれ(川俣)、江戸時代青縞織りで栄え、現在でも衣料の街であり田山花袋の小説『田舎教師』の舞台にもなった羽生から、映画『のぼうの城』の舞台で足袋の生産で栄えた行田市、日本一暑い町熊谷、八高線や東武東上線と接続する寄居、ミシュランガイドにも掲載され、岩畳や宝登山で観光客が訪れる長瀞(宝登山ロープウェイは秩父鉄道の経営)、秩父音頭発祥の地皆野、秩父神社参詣や西武秩父仲見世通り、武甲山登山が観光資源で、文字通り秩父地域の観光の拠点となる秩父を経由して、三峯神社や旧大滝村方面への玄関口となる埼玉最西端の駅、秩父市三峰口へ至る路線で全長71.7kmに及ぶ秩父本線と、秩父本線の武川駅より分岐し、三ヶ尻貨物駅経由で熊谷貨物ターミナルへ行く貨物列車専用で全長7.6kmの三ヶ尻線の2路線がありますが、それぞれの今日に至る経緯と現在を語って行きます。
秩父本線
 この路線は、もともと全線が秩父鉄道の路線ではなかったのです。1901年に秩父鉄道の前身『上武鉄道』(1916年~秩父鉄道)が熊谷から寄居までを開業しました。1917年までに現在の影森駅まで開通していました。一方熊谷~羽生間はどうなっていたかというと、ここは『北武鉄道』が1921年に羽生~行田(高崎線の行田駅とは異なり、現在の秩父鉄道行田市駅)を開通させ、1年後に熊谷まで延伸しましたが、その後約1ヶ月で秩父鉄道に北武鉄道が買収されて羽生~影森間の路線と、武甲線(1984年廃止、貨物専用影森~武甲)、三峰索道が電化開業していました。1930年、遅れて当初から電化した影森~三峰口間が開業し全線開業の運びとなりました。なお、秩父鉄道は巣鴨延伸計画、現在の秩父市大滝(旧大滝村、三峰口の奥)への延伸計画などなかなか壮大なスケールの計画を出して免許を取った、もしくは取ろうとしたのですが免許が切れてしまい実現していません(三峰口駅の引き上げ線はその名残です)。その後上越新幹線の開通によって今まで国鉄と秩父鉄道の貨物の取扱が廃止され、新設された熊谷貨物ターミナルで貨物の取扱をすることになったにあたって1979年貨物専用の三ヶ尻線(後述)が開通しました。しかしその後接続路線の武甲線、三峰索道が廃止されて今に至っています。

 現在定期旅客列車に使用される車両は1000系、5000系、7000系、7500系の普通列車と6000系の急行列車が運転されており、引退車両は普通用が2000系(元東急7000系で500系を置き換えた)、800系(元小田急1800系←国鉄モハ63形)、500系、100系(ともに自社発注車)と、急行用3000系(元国鉄165系)、300系(自社発注車)があります。貨物はデキ、ヲキ、ヲキフなどの石灰石輸送で、太平洋セメントの大工場と隣接する武州原谷貨物駅では太平洋セメントの機関車によるヲキ・ヲキフの牽引も見られます。この他、臨時列車にはパレオエクスプレスに使われるC58形、12系、その他デキです。

運行本数:平日朝夕が単線・長距離路線の割に約10~20分間隔で運転することもありますが、日中は平日の羽生~影森、土休日の影森~三峰口で約30~82分(82分もあくのは、平日の三峰口12:59発の後が14:21発の列車間隔)です。土休日の羽生~影森はおおむね30分間隔の運転ですが、土休日は影森折り返しが平日に比べ格段に少ないのでほぼ同じ間隔です。
※注意:ダイヤ改正後、90分間隔がある列車を発見。
 
三ヶ尻線
 1979年前述の理由により国鉄⇔秩父鉄道の貨物取り扱いが熊谷駅から新設の熊谷貨物ターミナル駅に変更となることが決定したため、秩父本線の途中駅の武川から熊谷貨物ターミナルへ敷設された貨物専用路線です。車両はデキとヲキフで、熊谷貨物ターミナルでJR貨物に引き継がれます。この路線の運用に備えて武川駅にデキが大量に留置されています。
秩父本線の駅
羽生(東武伊勢崎線乗換え)?(1.2km)?西羽生?(1.4km)?新郷?(2.2km)?武州荒木?(2.5km)?東行田?(1.0km)?行田市?(1.8km)?持田?(4.8km)?熊谷(高崎線、上越新幹線乗換え)?(0.9km)?上熊谷?(1.2km)?石原?(1.5km)?ひろせ野鳥の森?(1.8km、途中に広瀬川原車両基地、広瀬川原貨物駅)?大麻生?(2.6km)?明戸?(1.9km)?武川(三ヶ尻線分岐)?(2.3km)?永田?(3.4km)?小前田-(1.4km)?桜沢?(1.9km)?寄居(東上線、八高線乗換え)?(3.9km)?波久礼?(4.4km)?樋口?(2.6km)?野上?(1.8km)?長瀞?(1.1km)?上長瀞?(1.6km)?親鼻?(1.6km)?皆野?(2.6km)?和銅黒谷?(3.2km、途中に武州原谷貨物駅)?大野原?(2.4km)?秩父?(0.7km)?御花畑(西武秩父線西武秩父駅徒歩6分)?(2.7km)?影森?(1.4km)?浦山口?(2.4km)?武州中川?(1.5km)?武州日野?(2.7km)?白久?(1.3km)?三峰口

太字:パレオエクスプレス、急行秩父路の停車駅
囲い字:急行秩父路の停車駅(SL通過・非経由駅)
(ただし、臨時に停車する駅があります。パレオエクスプレスはゆっくり運転するので普通列車にも抜かれます。)
 
三ヶ尻線の駅
武川?(3.7km)?三ヶ尻?(3.9km)?熊谷貨物ターミナル
 
秩父鉄道の主要橋梁と撮影地
秩父鉄道の主要橋梁
荒川(親鼻)橋梁(親鼻-上長瀞間、上長瀞駅徒歩5分)
和銅大橋(和銅黒谷-大野原間、和銅黒谷駅からすぐ)
浦山川橋梁(浦山口-武州中川、浦山口駅すぐ)
安谷川橋梁(武州中川-武州日野間)
押手沢橋梁(武州日野-白久間)

筆者の秩父鉄道オススメ撮影地b
1. 西羽生~新郷間  羽生№11踏切付近
2. 新郷~武州荒木間 武州荒木№5踏切付近
3. 大麻生~明戸間  高い丘の上
4. 樋口~波久礼間  波久礼№11踏切、同じく№7踏切(ちなみにこの付近は、元国土交通大臣のM原誠司さんがSLを撮影したところです。)
5. 影森~浦山口間  浦山口駅至近の橋の上より
6. 白久~三峰口間  白久駅ホームに隣接した踏切およびホーム三峰口寄り
7. 前述の橋梁
 
まとめ
ご覧頂き誠にありがとうございました。僕は、皆様に秩父鉄道だけではなく全国の中小私鉄に目を注いでいただけると良いと思います。今後も中古車ばかりだという理由で中小私鉄を軽々しく軽蔑しない目を持ってほしいと思います。これからも、鉄道を愛してください。ありがとうございました。

この記事は2013年4月に執筆されましたため、現状と異なっている可能性があります。

印刷する際は"用紙サイズに合わせて印刷"を設定してください。
このページはInternat Exproler 7, Google Chrome, Safari5で動作確認しております。

Copyright 2010 暁星学園鉄道研究部 R.I. ALL RIGHTS RESERVED.