2009年 富山・夏の合宿


              
                                 8月5日・6日
         
         まさにあっという間にとは、これを指すものだと思った。最後の合宿だと前日は皆で買出しに、当日は
         皆でカラオケに、ここまでは淡々とこなしてきた。夜を旅立つ新宿駅に少々早く着きすぎてしまい代々
         木のほうまで友人と語りながらも都会の夜に浸っていた。出発は23:59。24時ぴったりにしないのは、
         きっと青春18きっぷ利用者から立川までの450円もの金額をしっかり頂くためではないかと思いつつも、
         中央緩行線との競争に心を奪われてしまった。それにしてもこの車両の椅子は硬い。それに車内は暑い。
         こちらとしては窓を開けて夜の山の空気を浴びたいが、あいにく特急車両を使用しているため窓は開かない。
         もとより冷房車両なので窓を開けると車掌やらが閉めろとうるさい。そんな不満を言いつつも片手、いや
         両手でPSPを握り締め夢中でグランドセフトオートのマルチプレイに専念する。なんやかんやで勝沼
         を通過。見事な甲府盆地についゲームの手を休める。甲府盆地をすり鉢の底と言われる理由、太宰治が
         シルクハットの底の小さい小さい旗と表現する理由も分かる。見事な車窓を堪能し、いつのまにかゲーム
         の中の自分は火炎瓶を投げられて死んでいた。顧問もお疲れのようで死んでいた。
           
         暑さに耐え切れなくなりデッキでたむろう。部員と馬鹿話をしてにぎやかになる。途中小淵沢やら茅野やら
         停車駅が多く真夜中の山の空気をドアが開くときだけ楽しむ事ができた。そんな駅でも必ず数人の登山客
         が降りていく。ウチの部員も停車時間を利用してホームに降り列車の撮影をして、また乗る。そんな感じ
         でまもなく松本に着く。松本を過ぎたころにようやく太陽が出てきた。結局一睡も出来ないまま信濃大町駅
         で降りる。終点の白馬で降りてもよかったのだが、結局信濃大町駅始発の列車に乗ることになると時刻表
         から読み取った上での判断だった。この作戦は成功だった。2両編成の短編成にも関わらず全員が着席、いや
         数名が寝台として利用出来たほどすいていた。この状況に部員一同それに加えて顧問が大満足。朝の木崎湖
         の景色も何のためらいも無く楽しめた。列車はまもなく白馬駅に到着。列車の編成に見合わない乗客群がいっ  
         せいに椅子を目指す。他の学校の鉄道研究部員が大勢乗ってきた。顧問2人を先導に車内に罵声が響く。
         鉄道研究部ならば、こういう状況も研究して想定するべきだと思う。列車は白馬を後にする。
            

                                
         
         だが我々部員はゆったりと座ってる暇は無い。ここで新たな課題が浮上してきた。左下の図を見ていただきたい。     
         これは大糸線の略図である。今我々はこの図の下の方から向かって来ている。そして南小谷駅止まりである。我々
         は糸魚川に向かいたいので、そのまま南小谷駅で乗り換えたいのだが我々の列車の到着は6:27着、そして糸魚川
         行き列車が7:51発で1時間半も南小谷駅で時間を持て余す必要がある。しかもこの先は列車の編成が1両。長くて
         も2両。座れる見込みははっきり言って少ない。そこで我々はこのような作戦を立てた。時刻表で調べたところ実は
         新潟県に入った平岩駅からの始発の列車が7:06発にある。これに乗れれば糸魚川には当初の予定より1時間近く早く
         到着する。しかも着席への不安は無くなる。ただリスクがあった。南小谷駅は本当に何も無い所だと聞いていた。
         そんなところで20人分のタクシーを手配する事ができるか。また限られた時間で平岩駅に到着する事ができるのだろ
         うか。ただ成功すればそれだけのリターンがあった。このハイリスクハイリターンな作戦に私と顧問が代表し、全部員
         が参戦した。まず顧問組は南小谷駅に到着次第、全力で疾走。万が一タクシーが手配できなくても座席だけは確保でき
         るようにする。そして私の組は駅に降りてタクシーの手配を責任持って行う。こう取り決めた。どうやら他の鉄道研
         究部部員も作戦を練っているらしい。不安と緊張の中、列車は南小谷駅に到着する。顧問は準備満タン。ドアが開く。    
         バトル開始の合図。跨線橋に一番近い! これは勝利か!? そうこう言っている暇は無い。我々はタクシーの手配 
         に向かう。よしとりあえず1台は確保。平岩まではタクシーで15分。これは余裕だ。え!? 他のタクシードライバー
         が寝てる? 我々に緊迫した雰囲気は南小谷駅にいたタクシードライバーを巻き込んだ。あわてて他のタクシードライ
         バーを起こす。怒鳴る。早く来い。時間が無い。寝てんじゃねぇ バカモノ。いいな 今すぐ来いよ 今すぐ。 
         うん、どうやら20人分手配できたらしい。だが油断はできない。他のタクシードライバーが寝ていたせいで時間が
         かなりおしていた。とりあえず私の組は平岩駅に先行する事になった。どうやら平岩駅始発は地元の人々も困っている
         そうだ。県境を走る列車の本数が少ないのは昔から。ただ昔は直通の列車もあったし、もっと本数も多かったはず。
         JRになって分社化して明らかに接続が悪くなったと思う。同じ事をタクシーの運ちゃんが愚痴っていた。それにして
         も景色が素晴らしい。この辺はフォッサマグナの左辺の糸魚川静岡構造線が通っている。川ではヒスイが取れるし、
         どっかの地学部やウチの地学の先生の遠西先生なんかが来たらワクワクするのではないかと思う。ただ我々は山間から
         顔を出す大糸線の線路にワクワクする。15分ほどで平岩駅に到着した。時刻は7時。まだ後続のタクシーが来ていない
         のが不安だが、タクシーでの新潟県上陸に違和感と、そして大糸線に未乗区間を残してしまったもどかしさで既に心に
         余裕は無かった。7時5分ごろに皆が到着。この作戦は成功を遂げた。同時に我々の乗る列車も到着した、随分と旧型
         だなと思った。部員の話によると今年度にこの車両は無くなるそうだ。時代の流れなんだと受け流した。
                                  
         列車は定時に発車した。しかし10メートルくらい走ったかと思うと、急に止まりなにやら運転台の周りをいじり始め
         た。1分後またしきり直して列車は発車。歩いた方が早いのでは?というなんとも遅いスピードで山を登っていく。
         この日は車内の冷房が故障しているらしい。扇風機を回している。窓も開けてくださいとの指示。指示通り窓を開ける。
         涼しいというより寒い。夏なのに晴れてるのに。夜行列車のあの蒸し暑さを思い出し、そして作戦の成功を心より感じた。
         大糸線の乗車はあっという間に過ぎた。終点糸魚川に着くとなんだかどこか人里に戻ったかのような気がした。降車後
         皆で記念写真を撮り、次の北陸本線の発車までホームをぶらぶらしていると赤レンガの古びた機関庫があり、これもせっ
         かくだから写真におさめる。そして跨線橋の上からは我が部員達が側窓からレンズを突き出して、あの古びた気動車を
         撮影し、最後まで大糸線に浸っているのだった。
             
         糸魚川より北陸本線に乗る。しばらくは海沿いを快走する。大糸線の遅いスピードとはまた違う味がある。この
         スピードに揺れながら、昨日の分の睡眠を撮ることに。起きるとそこは富山だった。富山より乗り換えて高岡に
         行く。この辺の段取りはもう4回目だから慣れたものだ。だが中1の部員はもの珍しいかのように、ウキウキし
         様々な電車をカシャカシャ撮っている。一眼レフのシャッター音はどこと無い良さがある。自分の持つコンパクト
         カメラはシャッター音がもはや無い。代わりに鳥の鳴き声や犬の遠吠え。かつて祖父の古い古い一眼レフを使った
         時の感触は忘れない。今でも机の横に置いてある。列車は15分ほどで高岡に到着する。高岡では一ヶ月遅いなん
         とも田舎的な風習で旧暦で七夕祭りが行われていた。鉄道研究部員はそれを夢中で撮る。それもそのはず、七夕
         祭りの装飾の下を、2両連接のなんとも真新しいチンチン電車、いや最近の言い方だとLRVと言われるものが堂々
         と走行するからである。秋に行った頃には、まだ冷房も付いてないよう古びた電車が車の群のなか、肩身の狭い
         思いをしながら走っていたのだが、どうやら殆どが新型に置き換わったそうだ。それにしても七夕の季節は一つ楽
         しみがある。それは短冊である。これが本当に面白い。出産や結婚、そういった人間の希望に満ちた切実な願いを
         見るのも、なんとも言えない笑みがこぼれるのだが一番笑わせてくれるのは、やはり子供の願いだろうか。過去に
         「大仏が消えますように」「1億3円もらえますように」「テリー伊藤に会えますように」などといくつかの傑作が
         あった。今回も腹を抱えるほど笑かしてくれる傑作を期待したのだが、時間は許してくれない。先を急がねばと
         列車に乗って海を目指すのであった。とりあえず帰り際にあの可愛いらしい旧型車に会えたのは何とも言えない
         あの田舎に帰って、祖父母に会うような、最寄り駅で同窓生に会うようなあの気持ちとどこか似た気持ちがした。
             
         さて、この路面電車はとりあえず万葉線という。簡単に言うと語源は万葉集からきている。万葉集を編集した大伴
         さんのゆかりの地だからという事くらいは1年のうちにそれなりと身に入るものである。さて、この路線は私のお気
         に入りの路線の一つである。単刀直入言えば飽きないのである。最初はなんか町の中を車と競争しながらとことこ
         走ってるのだが、どういうわけか急に、田舎になる。田んぼあり、川あり、ただのローカル線イメージになる。
         だが、また線路と道路が一体化し町の中を走り、それで落ち着くかと思いきや辺り一面は工場地帯、まるで手入れ                             
         していない、錆びた線路を行過ぎ、海に突き当たると思いきやそこは終点である。その先は船での移動となる。
         だが昔はそこは海では無かったらしい、昔と言っても2・30年前の話である。現在海の場所は、もっと細い運河で
         なんと電車ももっと先まで行っていたという。現地に行ってみれば分かるが、そのような痕跡はもはやなにもない。
         かつての線路の代わりに、現在では無料の船が、その代替として担っている。そして、その横にはさらに船の代替
         となる。すごい高さの橋脚がたっている。完成すれば北陸一の規模らしい。といままで語ってきたが、それは冬の
         話で、既に半年もの月日が経っている。終点がどうなっているのか気になるのだが、我々が目指すべき海は、そんな
         辺鄙な場所でなく、海水浴場である。万葉線は途中の駅で下車。駅の目の前には運河がある。運河の反対側にJRの
         駅があるので、そこまで歩く。運河を渡るのには橋を使う。一見普通に見えるが、この橋を使うのはどうも悔しい。  
         実は我々が訪問した3日前までこの運河を渡るもっと有効的な手段があったのである。それは渡し舟である。今時、                        
         確かに時代背景には合わないとは思うが、驚くことに最近まで、この運河を渡る方法は渡し舟しかなかったのである。
         そう、橋が完成する1ヶ月前までは。話は冬に戻る。冬にこの渡し舟を利用する機会があった。非常にのんびりした
         雰囲気で、まさに旅情を誘う何かがあった。だが、その頃より事態は深刻だった。渡し舟のかわりに橋が完成すること
         が決定し、この渡し舟の経営が非常に危なくなることが予定されていた。部員とも「次来る時は無くなってるかもね」 
         と残念そうに話しながら、「渡し舟存続に関するアンケート」を書いた。実際、夏には無くなるだろうとの予想をして
         いたので、春にはどうにか頑張って訪問する機会を作った。船が来るまでに、運行に関わっているおじさんとお茶しな
         がら、語ったのも良い思い出である。これが最後のチャンスだなとその時思っていた。実際まさにそうだった。この
         渡し舟は、僕らの夏の富山訪問を待ってくれなかった。なんとも皮肉である。この渡し舟の詳しい事に関しては、ここ
         で触れるより、ネットなどで調べたほうがよいだろう。「如意の渡し」と検索すれば、きっとヒットするだろう。感傷
         に浸ってる余裕は無い。私自身も早く次の章に移りたい。とりあえず橋を渡り終えた。さらに皮肉な事に渡し舟の小屋 
         の上に橋がかかっていた。悔しいので如意の渡しの事務局に電話をかけてあった。鳴りっぱなしで繋がる気配が無かった
               
               中1はまだまだ子供である。その認識は間違っているのだろうか?中1は海までの長い長い距離を遅れずと、せっせと
         歩く。でも私も小5の時はなんやら林間学校で1日中山を登ったりした記憶がある。実際子供の体力はなめてはいけな
         い。だが三十路を迎えた顧問と中1の体力は不等号で表せるようなものではない。でもまぁ顧問の体力は波たいていで   
         はないのは、部員も充分承知である。冬の猛吹雪のなかスキー上をテクテク歩く顧問の姿は勇ましい。万葉線の新型車
         両と比べると、これまたどちらが勇ましいのかは不明であるが、顧問の勇ましさの場合、新型車両と違う勇ましさがあ
         る。ただ、蒸気機関車として例えるには、いくつかの点で無理がある。ただ動物で例えとペンギンである事は間違いな 
         い、いや馬鹿にしているのではない。ペンギンはものすごく勇ましい。あの南極の冷え切った海に飛び込む勇気、魚へ
         の好奇心、そしてあの愛らしい容姿。んー 素晴らしい。馬鹿話はおしまいにしよう。海岸に着いた。ここで休憩を取
         る、昨日夜行列車だったから、汗を流したい。汗を流すのには温泉がいいが、時期的にここは海で汗を流すのが効果的
         かつ空気を読んだ選択だろう。海は足が着かなくなると真面目な話怖い。ただそんなの関係なしに進んでいく部員もい
         る。彼は鉄道研究部に所属しながらも水泳活動を両立している、数少ないスポーツ部員なのである。ただ彼は中2。高
         2の私が早くも敗北を認めるのには悔しいところがある。とりあえず遠泳を実行。スピードの速さと海を恐れない気迫
         に、自然と負けを認めざる得なくなる。そんな楽しいひと時の後はご飯。名産とも言えぬラーメンとカレーとアイスを
         食べる。梅雨明けしていない富山に日差しが差込み、2両のローカル列車が海辺を通過していく。夏らしい一面を一瞬
         見せつつ、また雲があたりを覆う。デザートのアイスを食べ終わった頃にはもう出発の時間。みんな満足の様子で、最
         寄の越中国分駅まで歩き、JRで高岡駅に戻るのであった。顧問もまた哀愁ただよう顔つきでその場をあとにした。
                
         さて、これから鉄研でもっとも避けられている伝統的な行事を紹介しよう。その名も夜間撮影である。まぁこの行事を
         こよなく愛する部員も稀にいる。ただ多くの部員がコレを好まない。そんな悪夢を避ける方法が実際あったりする。た
         とえば天候不順を理由にする。これは意外と賢い。いや賢いというか天候不順では真面目な話、撮影どころでは無い。
         あとは、部員の体調不良、列車の本数などなど効果的な言い訳はあるが、もはやそんな言い訳は古い、簡単にバレてし
         まう。まぁその結果、部員は夜間撮影の中から頑張って楽しみを見つけようとする。すると多くの部員はゲームのこと
         しか考えない。まぁそれはそれでいいと思う。だって普段部活のメンツで対戦したりなんて出来ないじゃないか。うん。
         夜は楽しみが少ない。景色も見えないしね。でもとりあえず夜間撮影にはレベルがある。特に富山県はいろいろな地形
         があるので、そのレベルに大きく差がある。一番楽なのは路面電車の撮影。とりあえず大きく都市部から離れずに済む  
         し、本数が確保されている。次に平野部を走る幹線。比較的本数が多いのが魅力、かつ富山までだいたい1本なので帰
         りもラクである。まぁようするにローカル線が問題というわけです。それも畑の中を走るような路線はまだラクな方で
         す。山間部を走るローカル線は、かつてシカが見られたという事があります。それは高山本線という路線の猪谷という
         駅です。ここから数分歩き、常虹の滝と呼ばれる場所。詳しくは春合宿の章を参照してください。ここでの夜間撮影は
         はっきり言って罰ゲームです。とりあえずこの日は中1もいるという事で、猪谷行きは無しという事になった。話合い
         の結果、私の班は畑の中を走るローカル線と、幹線を撮る事になったのである。これは、まぁまぁ外れクジでは無い。  
         それに訪問予定の場所は、実を言うと前から行きたい場所でもあったので、内心楽しみであった。訪問先は西魚津とい
         う駅である。そこまでに部員が乗り遅れたりとまぁハプニングはあったが、ここに記述するのは面倒なので飛ばし、
         東滑川駅というところに着いた事にする。まぁこの駅から西魚津駅まで歩きながら撮れば、ノルマ達成である。この付
         近は日本海に沿って幹線の北陸本線と、まるで喧嘩売っているかのように平行して富山地方鉄道というなんとも名前
         からしてダサい路線が走っている。まぁ実際この喧嘩に勝敗は明らかである。値段も時間もとうてい勝てない富山地方
         鉄道は、年々乗客数が減っている。ただでさえマイカーの普及率が日本一となってしまった富山県で、富山地方鉄道の
         生き残る術を見つけるのは難しい。とりあえず冬とは違うおだやかな日本海を見ているとどうでもよくなる。
                   
         大分日も暮れてきた。長い道のりを経て目的地、西魚津駅に到着した。いや、この駅は私の想像を絶する凄さであった。
         もはや古いとは言わせない。時代が止まったような光景。自動販売機の存在だけが現代だという事を保証してくれる、
         そんな光景だった。この西魚津駅は先ほど述べた、富山地方鉄道線、地元民は富山地鉄(とやまちてつ)、いやもっと
         略して地鉄(ちてつ)と呼ぶ、その線の駅である。この駅の周りはどうやら何も無い。いや家を建設している。宅地開発
         が今頃になって始まったらしい。とりあえず右から読み、なにやら旧漢字で書かれた駅名版を誇らしげに確かにその駅は
         存在していた。最近流行りのレトロとかで復元したのではない、希少だとマニアの人々が騒ぎ立てることも無い。確か
         その日も夕暮れを見送り、少ない照明と最近建てられた唯一のものだと思われる運転手の視界確認用のミラーがホーム
         も見事に演出している。そんな世界に1時間以上いた。こんな体験はなかなか他では味わえないだろうと思いながらも
         駅舎が好きというマニアの存在をどこか心の底で認知し、理解した。
                

                       
         さてさて、こう文章を書いていると、自分でどんどん雑になっているなと認識する。こう写真を見たり振り返ったりしてる
         うちに、あんなこともこんなこともっていう風になってしまう。だから単調に飛ばそうと思っても、後から後悔するばかり
         である。あとこう集中して書いている間にも、用も無い電話がかかってきたり、逆に用ある人からの連絡が来なくいらいら
         したり、そんな精神状態でふと我に返ると、自分の文章の下手さになんとも言えない屈辱感と悔しさが沸いてくる。私は
         そこまで読書量が多いとは言えない、どうやって魅力のある文章を書けるか、人に伝わるかはっきり言って分からない。
         基本的に思いつきで書いているのである。ああとりあえずはこの文章で自分のストレスや何かが発散できれば、とりあえず
         私的には満足である。そんな中でこんな文章を読んでくれるのはありがたい、むしろ自分のわがままにつき合わせてしまっ
         て申し訳ない。さてそんなかんなで帰路については特に触れないでおく。私は旅館に着き、各班の人と合流して、ご飯を
         食べることにした。富山名物なんて食べる余裕が無いし身分でもない中高生はサイゼリアで済ます。今日はちょっぴり贅沢
         で、ミックスグリルに。なんやかんやで濃い1日は終わった。明日の事など考えない我々はまた宿で騒ぎ、疲れのピークを
         越し、その夜は徹夜するというような提案を発する余裕さえも持つものはいなく、いつのまにか皆寝ていたのだった。
            

         8月7日

         鉄研の朝はとにかく早い。いや今年はラクなもんだ。5時30分に宿を出る。道路には市電が走っていて駅まではこれを利用
         するのが便利だ。朝なので異様に飛ばす。すぐに駅に着く。朝飯はますのすしといきたい所だがお店はやっていない。それに
         学生にとってその出費は大きな痛手である。おにぎりを数個と缶コーヒーをビニール袋に入れ、6時19分発富山地鉄、岩峅寺行
         に乗る。先に急ぐ前にここで路線の紹介をしておこう。
                
 
         少々分かりにくいかもしれない。これから我々が乗るのは電鉄富山から稲荷町を通り、そのあと右ではなく下に下降し、岩峅寺
         まで行くルートである。ちなみに稲荷町から右に行き、寺田、上市を通り新魚津を抜け、宇奈月温泉まで行くルートが本線。
         寺田から南下し、岩峅寺を通り立山まで行く路線が立山線。そして我々が乗るのは不二越・上滝線となんとも覚えづらい路線名
         である。これらの知識も1年間富山に通い続けた結果の賜物と言いたい。我々は3両の短い編成の先頭を陣取り、誰もいない車
         両でくつろぎながら全面展望を楽しみ、対向列車の混雑振りにどことない優越感を抱いた。だが富山地鉄が混雑が見られるのは
         この時間の上り列車だけだと思う。
                    
          まず最初の下車駅は、大川寺駅である。岩峅寺駅の一つ手前の駅である。この駅は正直何も無い、もはや山の中である。まず駅
         自体がトンネルやらシェルターやらなんか言葉では表現できないなにかにすっぽりはまっている。昔は大川寺遊園という遊園地
         があり、この駅も休日は家族連れで賑わっていたようだが、全く面影は見えない。我々は山間部より見下ろす写真構図を考えて
         いたがこのあたりはどうも難しそうで朝霧も目だってきたので断念。汲み取り式の便所で朝の用を足し、さらに山間部を目指し
         地鉄に乗るのであった。

                      
                次の駅、岩峅寺駅で降りる。次の立山方面まで30分程時間があった。天気は相変わらず悪い。どうやら梅雨明けはしない
          らしい。暑いから暑いからと部員にせかしたのが全くの無意味になるとは思いも寄らなかった。この駅は映画の舞台となっ
          た駅である。「剣岳・天の記」いつかテレビで放映する機会を待っている。この駅は昔の富山駅という設定で撮影を行った
          らしい、それらの様子が駅内に展示してあったので飽きる事はなかった。駅員さんに次の列車は混んでいるかと尋ねると、
          地鉄だからそんなことは無いという。というよりその駅員は翌日の阪神戦を甲子園で見る予定だそうで、うきうきな気分で
          接客に応じていた。着駅精算券という名の古めいた硬い切符を記念にくれ、列車到着まで我々を見送ってくれた。だが、車
          内は多くの登山者で盛わい、こんな途中駅から乗る我々のための席などもはや無かった。さて岩峅寺駅を過ぎると沿線の景
          色は一変する。とにかく一気に山に囲まれる。地上との落差が広がる。スピードは落ちる。顔に似合わず力持ちの電車が登
          山者を麓まで運ぶ。いや、もうこの光景は麓とは言えない。そんながんばりやの地鉄電車は数十分で千垣駅に到着する。乗
          降は我々だけである。千垣駅もそうとう古い建物である。いや地鉄に乗っていて分かった事だが、いちいち古さに驚いてい
          る暇は無い。とりあえず過去の繁栄のまま時代が止まっている。ただそれだけである。いや過去の繁栄を消したくないのか
          これらの遺産は、地鉄にとってのプライドなのかもしれない。いや遺産という表現は違うかもしれないけど代わりに用いる
          単語がいまいち思いつかない。さて千垣駅からほんの少し歩くと、常願寺川を跨ぐ。電車も川を跨ぐので、非常に絵になる。
          常願寺川と言えば、あの学校でも習う「これは川ではない、滝だ」との名言が生まれた舞台となった川である。どう感じる
          かは自由である。そんな滝を跨ぐ鉄道、富山地鉄立山線。是非一度は、特に冬に乗ることをお勧めする。
                   

                          
          基本的にここら辺を写真の構図におさめる時は縦である。まず世界、見る光景、すべてが縦視界である。こんな場所で働く
          創造性もきっと横向きでなくて、縦向きになるんだなと屁理屈のように辺にカッコつけようとしても、実際はDSで太鼓の達
          人をし、列車通過までの時間をしのぐような脳しか我々は持っていなかった。実を言うと冬にもこの幻想的な風景を見に、
          今回とは違うルートでこの地にやってきたが、その時は降り積もる雪、幻想的な風景に心を奪われゲームをしようという
          余裕など誰も持っていなかった。いや嘘だ。そんななか吹雪の中にいてもゲームに感性を奪われていた一人の部員がいた。
          そんな部員の存在が、もう過去の存在となってしまったという事はこの場でどう表現していいか分からないが、単純に辞め
          た、いやリタイヤという単語が合う。そう彼は鉄研をリタイヤした。冬合宿の様子も載せておきたいのだが、現在の自分に
          そんな余裕も体力も無い。残念な事であるが、この数年をどう活かすかで本当に人生は変わる。大人になってもふらりと
          この地に来たりできる。そんな生活を送るには今何かを犠牲にするのは悪い事ではないと思う。そうであってほしいと先輩
          にも認めてもらいたい。高3の先輩は高2の時にどんな事を思っていたのだろうか?不安や悩みはあっただろうか?
          時間は待ってくれない、我々も雨の降らぬうちに立山に出向きたいので、有峰口駅まで足を急いだ。有峰口から立山までは
          数分。アルペンルートの一通過点でもある立山駅に到着した。あの冬の静寂さとは違う。駅が生きている。ここまで振り返
          っても富山県は本当に素晴らしい県だと思う。47都道府県に全て出向いた訳でもない私が言うのもなんだが、正直書くネタ
          がありすぎる。それらは完成しきったものから、または何かが欠落したものまで。例えば立山の美しさなどは、ただただ
          誉めるばかりであり、そんな麓で語尾に「ちゃ」とかどうにも間が抜けた方言が行き交い、突っ込み所もたくさんある。それ
          が決して、面積が広いわけでもないこの一つの県に全部凝縮されているのはなんとも濃密である。正直こんなに書いてもまだ
          まだ書きたい事はあるし、自分の中ではだいぶはしょったつもりである。だが、書いていてたまに見返すと、すごい量の文章
          になっていて私を驚かせる。この次は海について書くだろうし、まだまだ都市部だって全然ふれていない。簡単に言うと
          とりあえず現地に行こう。という話である。顧問も今年は合宿とプライベートを含め、計8回富山に訪問している。その気持
          ちは非常に分かる。まず北陸に全般に言える事だが季節がはっきりしている。今年は例外だが、例年は連日猛暑で秋になると
          急に涼しくなり紅葉が見られ、冬にはおびただしい量の雪がふり視界が見えなくなり、モノトーンの世界が広がり、春には
          花が咲き、連日青空。立山に残雪を残しつつ、また暑い暑い夏の訪れ。これは1年間訪問していると分かる。この四季の違い
          を肌で感じられて、はじめて楽しい1年だったなと振り返られる。話が脱線した。とりあえず立山駅を降り、立山砂防事務所
          の方向に向かう。簡単に言うと常願寺川が土砂を削るせいで、土砂崩れがおきやすくなっているのでそれを防ぐ対策をしてい
          る、まぁ本部のような場所である。この砂防事業についてはここでは触れない。興味のある方はネットで調べるか我々の展示
          を文化祭に来て見て欲しい。と、まぁとりあえず鉄研のノルマの一つにここを走るトロッコ列車の撮影が含まれるので、プチ
          登山をし、ありえない量の虫に絡まれて、時刻も分からない列車を待ち続ける。ピーという音が鳴る。え? 来たのかな?
          あー 我々の思うところとは違うところを走っていった。正直どれがその線路か分からない。そんな時に救世主おじさんの登
          場。「11時15分に上り列車が来るよ。」「ありがとうございます。」しかし11時25分になっても、「もう諦めよう。
          次の列車はいつ?」「11時34分です。」「あと9分!? 9分でこの山を下って、電車に乗るの? よし走ろう」実は
          記述していなかったが私はビーチサンダルで山を登っていた。自分でも猛者だと思う。痛いというレベルじゃない。というか
          直線距離でも間に合うかどうかかなり微妙な距離。でも私は諦める人ではない。立山砂防軌道の撮影を諦めざるえなかったが
          と言わせない。なんと我々がダッシュしている道の上のほうでなんとトロッコ列車が走っているではないか!?コレは驚き
          を隠せなかった。とりあえず何も考えずカメラでパシャパシャ。通過時刻11時34分。あと2分で発車じゃん! まだ山
          ん中だよ。「諦めんな」足がまだまだ遅い中3をすっ飛ばして駅まで走る、汗はびしょびしょ。部員が付いてきてない。
          発車ベルが鳴ってる。「すいません 乗ります」「急いでくださーい」「あと3人来ます」「急いでくださーい」「電車発車
          させますよ」部員が来ない。あ、来た。「おーい 間に合うぞ 走れ、走れ」 ブザーがなり終わる。体力の限界を感じた
          我々はなんとか地鉄電車に間に合った。これは本当に今でも驚きを隠せない。よく間に合ったなと。しかもなんと我々が
          乗車した直後にゲリラ豪雨が降り始めた。なんて運がいいのだろうか!?気前のいい登山客が席をつめてくれて、ゆっくり
          立山線で、その汗と疲れを癒した。本当に良き思い出である。
                   
                           
          ゆっくりくつろいだ後に寺田駅で下車。ホームには一部屋根の無いところがあるので雨が心配だったが、どうやらやんだら
          しい。ただ屋根のある、本線のホームに移動した直後にまたゲリラ豪雨が襲ってきた。なんとも運がいい。きっと日頃の行
          動が皆いいのだろう。寺田駅からは富山地鉄の本線の特急に乗車。2両編成で座れるかどうか心配だったが、どうにか座れ
          た。ただ困った事に2両のうち1両が座席指定車で、こちらはフリー切符を持っていても、追加料金が発生するので事実上
          1両のようなものである。あと確認し忘れたが我々は富山地鉄の乗車にフリー切符を使用している。このフリー切符は2日
          間で4400円。これを高いとみるべきか安いと見るべきか賛否両論。ただ富山地鉄は値段が高い上に、距離が長い。鉄研
          の活動的に、多くの駅に下車するのだから、お得とも言えるだろう。上市駅では方向が変わり、みんな椅子を進行方向に変
          え、がたがた騒がしくなる。運転手も屋根の無いホームを忙しそうに走っている。雨はまだ止まない。ようやく発車した。
          地鉄には似合わないスピードをあげて走行するのにどうにも抵抗を感じる。予想以上の雨量になったので、撮影を断念。
          電鉄黒部駅で対向の普通列車に乗り換えて、引き返す事にした。ただ問題が起きた。雨が降っていたので走って反対側の列車
          に乗ろうとしたが、部員の何人かがついてきていない事に気付く。あれ?と思い引き返すと、駅員に怒られている。どうやら
          フリー切符を見せずに反対側の列車に乗ったのが、まずかったらしい。そういえばここは東京ではない。東京では、目立た
          ない行為もこちらではぷかぷか浮いて目立つ。「何のために生きているんだ」とか散々怒られた。最終的に「よい旅とはどん
          なものなのか」という話題に持っていかれ、結局お互い和解し無事乗車が完了した。やはり富山県民は普段から考えている事
          が賢いなと感じた。結局我々は真面目に人間性を疑われてしまった。特に思った以上にブルーな気持ちにならず、運転手は
          乗務員扉を開けっ放しにしながら発車。どうやら閉める気はそうそう無いようだ。気が着けば昼飯の時間が近づいていたの
          で、とりあえずいちかばちかで滑川駅で下車。何もないかな?と思いきや、ちょっと路地先にショッピングセンターがある
          事を発見し、昼食に至った。昼食時にもトラブルがあったが、ここでは控えよう。ただ人間の温かみを知れたのは言うまでも
          無い。基本的に北陸は人に絡まれる。コミュニケーションが苦手な人は北陸旅行を避けた方がよいかもしれない。
                   
          雨が降ってしまっては撮影が困難だと気付き対策を立てる。ここで思いついたのは富山の市電である。市電の電停で乗客が乗っ
          ている姿をおさめれば、間違いなく夏を演出できるだろうという判断である。それに富山県の鉄道をどうしても完乗したかった。
          先ほど書いた、立山のトロッコも本当は乗れるはずだったのだが、途中土砂崩れで線路が全通せずお流れになってしまったので
          ある。まぁこれは営業はしていないので、置いといてそれ以外は市電だけだった。実はちょびっと富山県内で乗っていない区間
          があるが、途中に駅が無いので割譲するとしよう。2つの大きな目的を達成するべく、列車の時間を調べると5分後だった。
          またもや猛ダッシュをして、なんとかタイミング良くギリギリ乗車。地鉄の揺れは食後の睡眠にまさにふさわしい。客もほとん
          ど乗っていなかったので、リュックを椅子に置き半分寝台の様な状態で起きた頃には電鉄富山駅に侵入する所であった。ここか
          ら市電の終点、大学前に行く。大学前は本当に富山大学の前にある。さて、大学前終点で降りようとするも、折り返しの電車に
          乗る列が歩道橋の奥まで続いている。部員の一人が「オープンキャンパスですかね?」と鋭い予想。まさに当たっていた。おび
          ただしい量のJK(もちろん女子高生の事)はオープンキャンパスから帰宅する集団だったのだ。これは予想以上に絵になる。いろ
          んなアングルからJK、いや電車を撮る。はたから見れば本当にただの変態だと思う。だが、予想以上に注目を浴びなかったのが
          意外だった。傘を持ってなくて、タオルを頭に巻く子もいた。それにしても男子の量が思いのほか少ない。男子の多くは辺りを
          見ると、どうやら根性で歩いて帰っているようだ。市電は多くの乗りこぼしを置いて行き発車していった。市電は10分以上来
          ないので、また列ができあがってしまう。この無限ループを見届けながら我々は流れを逆行してオープンキャンパスに行く事を
          決意した。こういうのを悪ノリというべきか、そうでないと言うべきか判断は部長にでも任しておこう。
                           
          まぁなんだかんだ富山大学に入ってしまった。この時期大学に入ったというと、敷地に入ったという意味合いより受かった
          という意味合いの方が、より強いというか影響されるというか、とりあえずもうこんな時期なんだなと思い、これも鉄研の 
          最後の合宿だな、と振り返ると雨のように涙が出そうなるが、私は人前で涙は見せないし偶然にも雨は止んだ。合宿の2週
          間ほど前に慶應のオープンキャンパスに行ったのだが、その印象が強いのかどことなく感動が無い。むろんまず自分が受け
          たい学部があるのは別キャンパスなのでモチベーションが上がらないのも無理は無い。とりあえず学食や図書館で、夜間撮
          影の構想を練ることにした。天気も良くなってきたので、山に登って夜景を撮る事にした。その山は富山に住んでいる人な
          らおそらく誰でも知っている。その名も呉羽山である。100mも標高の無い山だが、そこから見る景色は尋常なく素晴ら 
          しい。これまで何度か訪れており、顧問もお気に入りの場所である。ただ実はこの地で夜景を見た事は無かった。なぜなら
          アクセス性が若干悪いため、自転車での訪問が我々の中では常識化していて、自転車は18時には返却しなくてはならない  
          レンタサイクルなので、夜が更ける前に帰る必要があった。だが今回は富山遠征も最後という事で、頑張って山まで歩き、
          さらにそこから山に登り、夜景を見ることにした。山頂に着く頃には夕暮れ時でカップルや家族連れで少々賑わい始めた。
          市民の間でもここは憩いの土地なんだろう。とりあえずこの夜景のすばらしさは何ドルなのかは評価できない。まず函館山
          に行き、100万ドルを体験してそこから相対比較するしか単位として表す方法が無い。あえて主観を交えての絶対比較を
          するなら。軽く100万ドルは越す。そして買える物はマスターカードレベルまではいく。今までの長い長い説明を要約
          すると、とりあえず一度来て見ろって事である。
                         
          さて撮影も一段落し、宿に帰ろう。と迂闊には言ってなれない。正直この暗闇のなか同じ道を引き返すのは肉体的にはおろか
          精神的のも大きなダメージがある。いや、でも高校生がそんな事言ってるようじゃダメだなと、気合を入れるもまもなく、
          何故か山中にタクシーの光が差し込んできた。さっきの入れたばかりの気合で大きく手を挙げ、タクシーが停車した。機材を
          持って乗り込む。どうやら、この山の付近の旅館まで客を送ってきた帰りで、偶然通ったのだという。なんともタイミングが
          良い一日であった。どうやら地鉄は我々が乗り終えた後、途中駅で信号トラブルで運転が見合わせになったらしい。どうにも
          こうにも、楽しくかつ良い撮影が出来たのは、あの立山での激走のおかげかもしれない。明日に備えて宿では徹夜への挑戦が
          行われた。そして午前3時過ぎ。寝室から会話の波が途絶えた。   

          8月8日

          昨日のミーティングは非常に長いものであった。昨日にところに記述がないのは、あえてなのか単純に忘れたのか、それとも
          忘れるくらい軽薄なものだったのか忘れたいくらい濃厚なものだったか、そんな疑問は問わないで欲しい。とりあえず合宿4
          日目の朝を迎えた。この日は悪天候との予報だったので撮影の断念し、当初9日に行うはずだったスポーツ大会とクスリの博
          物館の見学会を先に行うことにした。ただ思った以上に天候が良いので判断ミスをしてしまったか?とも感じた。ただ時刻は
          まさかの8時過ぎ。そう、我々は寝坊をしてしまったのである。今回大部屋にしたのは寝坊をしないというのも一つの理由で
          あって、このミスはあってはならない事であった。まだ寝ている部員をたたき起こし我々の班は出発した。市電にのりJRの
          もう見慣れた富山駅に到着する。朝ラッシュのおかげで座れず10数分で高岡に到着する。高岡で朝食を取り、氷カフェとい
          うシャーベットに牛乳をかけたような、食後のデザートを満喫し、ふたたび初日と似た肯定で万葉線に乗った。米島口という
          場所で下車。初日に乗った、氷見線が近くを通るので撮影。その後氷見線に乗車。初日と同じ越中国分駅に向かう。坦々と進
          んでいるように見え、この間に何時間もの時間が経っている。自分達の乗った列車を撮影後に定番の温泉施設で昼食を取る。
          とりあえずネギトロ丼はうまい。本来ならこの後も撮影に向かいたいのだが、午後は先述の予定があるため、引き返すことに
          氷見線・北陸本線を利用してなんのおもしろみもなく富山駅に到着する。いやおもしろみがあると言えばあった。北陸本線の
          中で日本で先生をやっているアメリカ人が「座っていいですか?」と尋ね「いいですよ」と言ってから、妙に話しかけてくる
          のだった。どうやら日本語の検定を受ける勉強をしているようで、実践的な会話がしたかったのだろうか?結局立山は素晴ら
          しいと言い残して途中の駅で降りてしまった。私は逆に英語を使ったので英語の勉強に利用させてもらった。                                 
               さてこの取材状況は流石に我々も罪の意識を感じ、富山ライトレールの撮影で挽回することにした。意外にのんびりせず
         そそくさと走るので、もうちょっとのんびり走ってもいいなと思うが終点岩瀬浜まではあっという間に着いた。ここ岩瀬浜
         は舟運で栄えていた頃の町並みが残っており、列車の撮影に飽きた私は撮影の効率化と共にそそくさそそくさと街中を駆け
         巡り東岩瀬駅に向かった。東岩瀬駅ではまだ小学校に上がる前の少女と腰の大きく曲がった老婆が列車の乗り方を知らずに
         困っていたので丁寧に説明することにした。「乗らない間にいつのまにか路面電車になってしまった」と呟いていたが、も
         うライトレールに転じてから1年以上は経っている。やはり鉄道に縁の無い人はこうにも鉄道音痴になってしまうのだろう        
         か?我々は富山駅に引き返し、集合場所に市電で向かいクスリの博物館を丁寧に見学した。ここの館長とは今は無き池袋の
         三越で開かれた「富山展」でお会いしたはずだが双方あまり記憶には残っていないようだった。夕方のサッカー大会は富山
         駅からそう遠くない稲荷公園という場所で行われるため移動した。ここでの事はあえて記載しないほうがこれまでの流れに
         そう気がする。いよいよ明日で富山遠征最終日となった。

         8月9日

         昨夜は楽しい夜だった。OBが来てくれた事はどう向いてもプラス要因だった。最終日も天候に恵まれることは無かった。
         特に大きな変化も無く城端線・氷見線とまわって、昼飯は偶然にも必然にも越中国分で済ましてしまう。曇天。心も曇天
         であり。その理由は自分の中でも明らかだったし、ここでは明記する気にも起きない。とりあえず富山から離れる覚悟は
         思いのほか辛いものでは無くなったし、既に希望が翌日の大阪遠征に向かっているような気もした。万葉線での夜間撮影
         を少しでも楽しいものにしようと、考え出した「万葉線ゲーム」のルールは簡単だった。電車に乗って誰かが駅を降りる
         ためブザーを押したらその駅で降りなきゃいけないという過酷さであったが4回降りたところでタイムアップになって
         しまい、残念ながら終点までたどり着けなかった。夜は8番ラーメンと決めた。ラーメンは微妙だけど、餃子がうまい。
         今まで何度かお世話になった8番ラーメンを食する事はしばらく無いだろうとは思わず、先に店にいた中1と共に食した。
         帰り際、ふと電鉄富山駅のほうに目をやった。もうしばらくはこの地に来ることは無いのか?ともやはり思わず、むしろ
         今までお世話になったというありがたみでいっぱいだった。きっと翌朝に起きるのは不可能だと体が言うので、最後に駅
         前のコンビニで夜食を買った。1年間ありがとうございました。またできれば近いうちに行きたいと思います。